毎月 第3土曜日に恒例となりつつある 下北沢まち歩き。
今回は、早稲田大学の英字新聞「Waseda Guardian」の方が取材をかねて見られると言うことで、楽しみにしながら待ち合わせ場所に向かう。ほかに東京大学の方と下北沢地区行政訴訟のサポーターの方が参加。みんな積極的で魅力的な人たち。
最初に歴史的・制度的背景を説明する際に、僕の語り口はちょっと、とちりとちりであったが、木下区議の力も借りながら、だいたいのところを説明。ちょっと冷や汗。
とりあえず、話をまとめて、後は得意のまちを歩きながらのトーク。
タウンホール脇の自転車置き場に立てられている道路計画認可の立て看板の前に立ち、実際の風景と合わせながらお話。行政の人たちも便利な物を作ってくださって、ありがたいことです。
その後、ちょっと坂をあがりながら、スズナリ劇場、下北沢教会などの第ニ工区の予定地を見て回る。教会の庭はまさにその予定地の真下にある訳だが、その上にそびえ立っている三角形のマンション、この角が道路予定地の線に沿っていることを説明。
予定地のところには、鉄筋コンクリートなど、後で建て壊しが大変そうな建物は建てないようにとなっているので、その場所は広場のようにして、丈夫なマンションを道路予定の線の外に沿って建てたそうだ。計画がある間は、何も建てられないからだろう。とはいえ、第二工区が実際に認可され買収が始まるのは、10年ぐらいはかかるのではないか。いや、始まるかどうかも怪しいと思う。
そういえば、今回のまち歩きは、道端で非常に多くの知り合いに会い、参加者にも「下北沢の路地界隈性」=知り合いに多く会えるまち、と言うのを印象づけた。まあ、今回の会いっぷりは、かなり特別すぎたかんじもあったけど。
その後、道路予定地をゆっくりと説明しながら歩く。しかし、今は1月。日が暮れてくるとともに、寒くなってきた。
急ぎ歩きになって、東洋百貨店の中に避難。
そこから、「うわさの」3階からピーコックビルの4階に抜ける通路を通って、暖かい室内でちょっと長話。
後は駅前市場などを早足で歩き、グルメタウン跡地がすっかり更地になっているのを見たりしているうちに、後でお茶によるよ、と伝えておいたチベットチベットの和気さんから「まだ着きませんか〜〜」のコール。ふと時計を見ると、既に2時間半も歩いている。
あわててモアカフェの前を通ったりしながら、南口を駆け下りて、チベットチベットに到着。
ちょうどその日、夜に貸し切りイベントがあるそうで、それまで僕たちが貸し切り状態。気を使ってくださって、お店の方々、ありがとうございました。
そんな中で、学生を中心とした参加者から、積極的な質問が飛ぶ。
論点の一つは、「下北沢」は「学生街」と言えるか、ということ。
いわゆる大学の前に広がっている街ではないので、学生街とは言えないのでは。しかし、そこには劇場やライブハウスや古着屋が多くあり、そういう「文化」の香りが学生を呼んでいることは確か。
学生だけでなく、いろいろな意志を持った人が集い、そこから起業していった例も多い。
「文化」と言う筋があって、学生から卒業してそこで起業して仕事もし続けようという、そういう魅力を持った街 ーー そういう魅力を持った街こそが、この現在の金融不況/自動車不況を越えて、「生き続ける街」につながるのではないか、そんなことを僕は語った。
だから、狭い路地が多くて再開発できないと街が寂れる、と言うのは、古い工業化時代の考え方だ。これからは逆に「街並み」に「文化」に魅力がある街、そういうところにこそ、意欲を持った人たちが集まり、いろいろな社会的・経済的変化にも対応できるような「経済発展」を作っていく、それこそがこれからの「経済モデル」であるのではないか。
そう、「文化」や「環境」はこれから決して「経済」に対して対立する物ではない。「文化」や「環境」を守ろうとすることが本当の「ニーズ」を掘り起こし、「持続する経済発展」につながるのだ。
一番重要なのは、実際にその町に、住む、働く、集う人々の間で、「路地」性、が生きていること。
「路地」で人々が情報を交換し合い、次の街の方向性に関して知恵を絞り合い、試し、行動し、時代に乗っていく、継続的に発展し続けていく、そういう風に「街が生きている」ーー理想論かもしれないけど、今の世の中を見ていると、これこそが一番現実的なのではと思う。
上から計画的に作った表向き「路地風」な町があったとしても、どこかの再開発地区みたいに、流行が終われば、飽きられて、そして、時代の変化に自ら、内から対応できず、廃れてしまう・・・のでは。
いつしか、まち歩きレポートから逸脱してしまったがこの街歩き自体がいつも新しい・魅力のある人たちとの出会いの場を提供してくれていて、僕はまた来月の新しい出会いを楽しみにしてしまうのだ。
(ASAWA)

